〜プラズマテレビという賭けに負けた日、会社は何を失い、何を得たのか〜
「ナショナル」というブランドを覚えているでしょうか。
かつて日本の家庭には、テレビも冷蔵庫も洗濯機も「ナショナル」のロゴがついていました。松下電器、今のパナソニックは、日本の高度経済成長を文字通り「家電」で支えた会社です。
ところが2012年、この会社は2年連続で合計約1兆5,000億円という空前絶後の赤字を出しました。原因は、次世代テレビとして数千億円を投じたプラズマテレビが、韓国勢の液晶テレビに完敗したことです。
その傷だらけの会社を引き継いだのが、津賀一宏(つが かずひろ)という一人の技術者出身の社長でした。彼が最初に発した言葉は、日本の大企業の社長としては異例のものでした。
「当社はデジタル家電では負け組です」
そこから何が始まったのか。なぜパナソニックは「家電の会社」から「BtoB(企業向けサービス)の会社」へと生まれ変わろうとしているのか。そして今もなお続く変革の痛みとは何か。
この記事を読み終えた頃、あの白いロゴの見え方が変わるはずです。
基本情報
| 項目 | 内容 |
| 会社名 | パナソニック ホールディングス株式会社(証券コード:6752) |
| 創業 | 1918年3月7日(松下幸之助が「松下電気器具製作所」を大阪で創業) |
| 本社 | 大阪府門真市(創業の地から移転、現在の本社所在地) |
| 旧社名 | 松下電器産業株式会社(2008年にパナソニックへ改称) |
| 主な稼ぎ方 | 空調・冷熱、電気工事材料、車載機器・電池、法人向けソリューション、家電 |
| 誰もが知る商品 | エオリア(エアコン)、テスラ向け車載電池、Panasonic製コックピットシステム |
| キーワード | 「家電の王者」→ プラズマテレビ大失敗 → 「負け組」宣言 → BtoBへの大転換 → 現在も改革の途中 |
| 売上規模(参考) | 連結売上高 約8兆5,000億円(2024年3月期) |
企業ヒストリー:100年の栄光と挫折
1918〜1950年代:大阪の土間から「水道哲学」まで

1918年3月7日、23歳の松下幸之助は大阪・大開町の2階建ての借家に移り、妻のむめの、義弟の井植歳男、若い3人だけで松下電気器具製作所を創設しました。元手は約200円。工場は自宅の土間でした。
最初の商品はコンセントに差すアタッチメントプラグ。既製品より3〜5割安く、品質も上だったこの商品がよく売れ、事業の足がかりになりました。
1932年、幸之助は「水道哲学」を打ち立てます。「生活に必要なものを、水道の水のように安く大量に届ける。そうすれば貧困はなくなる」。この理念が会社全体の背骨となり、大量生産・大量販売で品質を保ちながら価格を下げるという経営スタイルが確立されました。
戦後は洗濯機(1951年)・テレビ(1952年)・冷蔵庫(1953年)と、わずか3年で主要家電すべてに参入。「ナショナル」ブランドは日本の家庭の代名詞になっていきました。
「安くて良いものを大量に」という創業の哲学が、戦後日本の家電王者への道を開きました。
1960〜1990年代:絶頂期 「家電のデパート」として世界へ

高度経済成長とともに、松下電器は急拡大します。テレビ・エアコン・電子レンジ・ビデオカメラ。あらゆる家電を自社ブランドで揃え、「家電のデパート」と呼ばれるほどの品揃えを誇りました。
海外展開も積極的に進め、「Panasonic」ブランドでアジア・欧米市場にも浸透。国内では「ナショナル」、海外では「Panasonic」という二刀流で世界市場を攻めました。
1990年代のピーク時、連結売上高は7兆円を超え、日本最大の家電メーカーとして揺るぎない地位を築いていました。社内には「パナソニックは大きいからつぶれない」という空気が漂い始めていました。その空気が、のちに会社を蝕む原因になります。
→ 頂点に立った会社が陥る「慢心」の罠。それが次の章の伏線になります。
2000年代:プラズマテレビという「大きな賭け」

2000年代に入ると、地上デジタル放送への移行を前に薄型テレビ市場が急拡大します。当時の社長・中村邦夫氏は「テレビはわが社の顔」と言い切り、プラズマテレビに経営資源を集中投下しました。
大阪・茨木、兵庫・尼崎、さらには上海にも次々と工場を建設。プラズマへの投資総額は数千億円規模に達しました(複数の情報源により5,000億〜6,000億円超との報道あり)。プラズマテレビは大画面の美しさでは液晶を上回っており、「40インチ以上の大画面ならプラズマが勝つ」というのが当時の業界の常識でした。
ところが2005年頃から、韓国のサムスン・LGが安価な大型液晶テレビを市場に投入し始めます。液晶の大画面化は「技術的に難しい」とされていたはずなのに、韓国勢はそれをやってのけました。
2004〜2009年にかけて「液晶優位、プラズマ不利」の流れが明確になると、ライバルメーカーのソニー・日立・パイオニアは相次いでプラズマ生産から撤退しました。しかし2009年以降、日本でプラズマディスプレイパネルを生産しているのはパナソニックだけでした。
なぜ止められなかったのか。当時、中村社長は2002年に4,000億円を超える赤字経営をV字回復させた「中村天皇」として社内に絶大な権力を持っており、経営会議でプラズマ戦略を疑問視する声を誰も上げられる雰囲気ではなかったといいます。
「王様は裸だ」と言える者が、社内にいなかったのです。
成功体験が判断を曇らせた。この構図は、富士フイルムのライバル・コダックの末路と重なります。
2012年:7,720億円の赤字を背負って就任した男

2012年5月に発表した2011年度の決算は、7,720億円もの純損失でした。翌年度もさらに赤字が続き、2年合計で約1兆5,000億円という前代未聞の損失を記録します。
その時点でパナソニックの社長に就任したのが、津賀一宏氏です。技術者として入社し、テレビ事業を長年担当してきた津賀氏は、誰よりも「テレビの現実」を知っていました。
社長就任が決まり本社に調べに行ってみると、問題はテレビ事業だけではありませんでした。会社の規模が大きすぎて全体像が見えない。次の大型ヒット商品も見えない。キャッシュも不足している。
そして就任から4ヶ月後の中間決算の場で、津賀氏はこう言い放ちます。
「当社は普通の会社ではありません。デジタル家電では負け組です」
社員に向けてこう発信したのは、「他責ではなく自責で、この危機を自分事として捉えてほしい」というメッセージでした。大企業の社長が自社を「負け組」と呼ぶことへの反響は大きく、社内外に衝撃が走りました。
「認める」ことが、変革の第一歩でした。
最大の転機
転機① プラズマテレビ撤退と「選択と集中」(2012〜2013年)
課題
出血が止まらないプラズマテレビ事業を続ける理由は、もはやありませんでした。しかし「テレビはわが社の顔」という誇りと、巨額投資の「元を取りたい」という心理が、撤退の決断を遅らせてきました。
決断
津賀氏は就任早々、生産拠点を次々と停止。2013年にはプラズマテレビからの撤退を決め、さらに個人向けスマートフォン事業、半導体事業、太陽電池事業も縮小・売却を進めました。
同時に、約30人で構成されていた最高意思決定機関「常務会」を廃止し、12人に絞った新体制に。約7,000人いた本社社員も130人へと大胆に削減しました。「大きすぎて見えない」会社を、「見える会社」にするためです。
結果
就任から1年半後の2013年度決算で、純利益1,204億円の黒字転換を達成しました。「1年で黒字化する」という社内外への約束を、前倒しで果たした形です。
転機② テスラとの「ギガファクトリー」——BtoBへの大賭け(2014年〜)
課題
家電の縮小で出血は止まりましたが、次の成長の柱が見えていませんでした。「プラズマの代わりに何で稼ぐのか」という問いに、答えを出さなければなりませんでした。
決断
津賀氏が目をつけたのは、パナソニックが長年磨いてきたリチウムイオン電池の技術でした。そして2014年7月、電気自動車メーカーのテスラと「ギガファクトリー(巨大電池工場)」を共同建設することで合意します。
テスラは「年間生産台数50万台を達成するには、全世界のリチウムイオン電池の生産量と同じだけの電池が必要だ」とパナソニックの技術に期待をかけました。家電から電気自動車へ。顧客も、産業も、まったく違う世界への転換です。
結果
テスラとの連携は一定の成果を上げましたが、電池の製造コストや供給量をめぐって両社の摩擦も続きます。パナソニックはその後、テスラ依存のリスクを認識し、トヨタとの合弁でEV電池会社「プライム プラネット エナジー&ソリューションズ」を設立。電池事業のポートフォリオを広げていきます。
転機③ 「パナソニック」という名前を持株会社に。グループ再編(2022年〜現在)
課題
家電・電池・工場向けシステム・住宅設備。あまりにも多様な事業が一つの会社の屋根の下にあることで、それぞれの事業の速度感や方向性がバラバラになっていました。
決断
2022年、社名を「パナソニック ホールディングス」に変更し、傘下に事業別の独立会社を置く持株会社制に移行しました。「パナソニック コネクト(法人向けソリューション)」「パナソニック エナジー(電池)」「パナソニック インダストリー(電子部品)」など、事業ごとに独自の経営判断ができる体制を整えました。
そして現在の社長・楠見雄規氏は2025年、さらに踏み込んだ構造改革を発表します。テレビ事業など4つの課題事業の方向付けを行い、BtoBとBtoCを明確に分ける形に再編。同時に1万人規模の人員適正化も発表しました。黒字の状態での大規模リストラは異例で、社内外に大きな波紋を呼びました。
結果
改革はまだ進行中です。楠見氏自身「この30年間、実質的な成長ができていない」と認め、「構造改革は今の世代の責任者がやり切らなければならない」と語っています。パナソニックの変革は、まだ道半ばです。
現在のビジネスモデル

パナソニックHDは今、大きく3つの方向で収益を上げています。
① BtoB(企業向け)事業。これからの主力
工場の自動化設備、空港の手荷物処理システム、航空機のコックピット向けシステム、流通・小売向けのPOSシステムなど、企業や社会インフラを支える「縁の下の力持ち」的な事業群です。パナソニック コネクトが担うこの領域は、今やグループ全体の利益を最も稼ぐセグメントに成長しています。一般消費者の目には見えにくいですが、物流センターや工場の現場を支えています。
② エネルギー事業(電池)。未来への賭け
EV(電気自動車)向けのリチウムイオン電池を中心とした事業です。テスラ向けの供給に加え、トヨタとの合弁でHV(ハイブリッド車)向け電池も製造しています。EV市場の成長に乗れるかどうかが、今後10年のパナソニックの命運を左右すると言っても過言ではありません。
③ くらし事業(家電・住宅設備)。守りの柱
エアコン・冷蔵庫・洗濯機などの家電と、住宅設備(キッチン・バスルーム)が含まれます。創業以来の「顔」であるこの事業は、現在も売上の柱ですが、成長よりも「安定した収益の確保」という位置付けになっています。テレビ事業については課題事業と位置付けられ、今後の方向性が検討中です。
全体を貫くロジック
「家電を売る会社」から「社会インフラと企業活動を支える会社」へ。この転換がパナソニックの現在の方向性です。ただし「家電を捨てる」のではなく、家電は守りながらBtoBで成長する、という「両立」を目指しています。その道のりは、まだ険しい。
強み:なぜ他社に真似されにくいのか

100年分の現場技術
製造業・家電メーカーとして100年間積み上げた「ものづくりの技術」は、工場自動化・電子部品・電池など、BtoBの世界でもそのまま競争力になっています。
リチウムイオン電池の技術力
EV時代の鍵を握る電池技術において、パナソニックは世界トップレベルの量産技術と品質管理を持っています。テスラが最初にパナソニックを選んだのはこの技術力ゆえです。
グローバルなサプライチェーンと顧客網
100年かけて世界中に築いたネットワークは、新興企業が短期間で構築できるものではありません。特に製造業・物流・航空分野での長期取引関係が強みです。
松下幸之助の「経営哲学」というブランド
「水道哲学」「人を大切にする経営」など、創業者の思想は今もパナソニックのブランド価値の核にあります。特にアジア市場では、松下ブランドへの信頼が根強く残っています。
住宅・空調でのシェア
エアコン(エオリア)や住宅設備では国内トップクラスのシェアを持ち、安定したストック収益(修理・部品交換などの継続収益)を生み出しています。
まとめ
「負けを認めた日が、新しいパナソニックの誕生日だった。」
100年かけて築いた「家電の王者」の座。しかしプラズマテレビへの巨額投資が失敗に終わり、2年で1兆5,000億円を失ったとき、パナソニックは岐路に立ちました。
「負け組」と自ら認めた津賀社長の言葉は、変革の痛みを引き受ける宣言でした。プラズマテレビを手放し、スマートフォンを手放し、半導体を手放し、太陽電池を手放した。その代わりに、工場の自動化、EV電池、社会インフラへの貢献という新しい顔を手に入れつつあります。
ただし、パナソニックの変革は「成功した過去の話」ではありません。今もなお、1万人規模のリストラ、テレビ事業の行方、EV市場の不透明感。課題は山積みです。「終わった改革の美談」ではなく、「現在進行中のドラマ」として読む会社です。
次にパナソニックのニュースを目にするとき。リストラのニュース、EV電池の受注、工場向けロボットの発表。それらが「家電の王者が生まれ変わろうとしている途中の景色」に見えてくるはずです。
※本記事は企業理解を目的とした情報提供コンテンツです。特定の銘柄の購入・売却を推奨するものではありません。投資判断はご自身の責任でお願いいたします。記載の数値・情報は公開情報をもとに作成していますが、最新情報は各社の公式IR・有価証券報告書でご確認ください。

コメント