〜本業が消えた日、富士フイルムは何を選んだのか〜
「写ルンです」を作っていた会社が、なぜ化粧品と医薬品を?
「写ルンです」「チェキ」。これを聞いてピンとくる人は多いと思います。富士フイルムといえば、ずっと「写真の会社」でした。
でも今、富士フイルムは病院の検査機器・薬・化粧品・スマホのディスプレイに使われる素材など、一見すると写真と全然関係なさそうなものを作って売っています。しかも業績は右肩上がりで、売上は年間約3兆2,000億円にのぼります。
なぜ「写真フィルム会社」がここまで変われたのか。そして、同じ状況に直面したアメリカのライバル企業(コダック)はなぜ倒産し、富士フイルムは生き残れたのか。
この記事を読めば、その答えがわかります。
富士フイルムとは何の会社か(基本情報)
| 項目 | 内容 |
| 会社名 | 富士フイルムホールディングス株式会社(証券コード:4901) |
| 設立 | 1934年(昭和9年)1月 ※「富士写真フイルム株式会社」として設立 |
| 本社 | 東京都港区赤坂(東京ミッドタウン) |
| 何で稼ぐ会社? | ヘルスケア(医療機器・医薬品製造受託)、エレクトロニクス(半導体材料)、ビジネスイノベーション(オフィス機器・DXソリューション)、イメージング(チェキ等) |
| 代表的な商品・領域 | チェキ(instax)、アスタリフト(化粧品)、内視鏡・CT、バイオCDMO、液晶・半導体材料 |
| キーワード | 写真フィルムの国産化(1934年)→ 本業消失の危機(2000年代)→ 技術転用による「第二の創業」→ 売上高3兆円超のヘルスケア企業へ |
| 直近の規模感(参考) | 連結売上高 約3兆1,958億円(2024年3月期)、売上高・営業利益ともに過去最高更新中 |
会社の歩み

1934〜1950年代:「日本製のフィルムを作れ」という使命からスタート
当時の日本は、写真フィルムをほぼ全量アメリカやドイツから買っていました。「自分たちで作れるようにしよう」という国の方針のもと、1934年に富士写真フイルム株式会社が生まれます。
戦後は日本中でカメラブームが起きます。富士フイルムもそれに乗り、モノクロ・カラーのフィルムを次々と発売。「日本製フィルムの代名詞」として地位を固めていきました。
ここが大事:「品質にこだわる」という会社の気質は、この時代に生まれた。
1960〜1980年代:世界最強のライバル「コダック」を追いかけた時代
高度経済成長とともに、写真の市場も急拡大。富士フイルムは世界に打って出ます。
当時の最大のライバルはアメリカのコダック社。フィルム業界では「世界最強」と言われた会社です。富士フイルムは「コダックに追いつけ、追い越せ」を合言葉に技術を磨き続けました。
1986年には「写ルンです」を発売。「カメラがなくてもこれ1本で写真が撮れる」という画期的な商品で大ヒットし、アメリカ市場でも存在感を高めていきます。2001年には、ついにアメリカでコダックを売上で抜くことに成功しました。
ここが大事:頂点に立ったまさにその瞬間、足元では「写真フィルムが売れない時代」が静かに始まっていた。
2000年代前半:「本業が消える」という前代未聞の危機
2000年代になると、デジタルカメラとインターネットが急速に普及します。「フィルムを買う」必要がなくなり、フィルムの売れ行きは年間20〜30%のペースで落ちていきました。
富士フイルムにとって、写真フィルム関連の売上は会社全体の半分以上、利益の約7割を占める「一番の稼ぎ頭」でした。それがわずか数年で赤字に転落したのです。フィルムの世界全体の売れ行きは、10年で10分の1以下になりました。
当時の社長・古森重隆(こもり しげたか)氏はこれを「本業消失(ほんぎょうしょうしつ)=メインの仕事が消えた」と表現し、会社全体を変える大改革に乗り出しました。
一方、同じ危機に直面したコダックは変わることができず、2012年に経営破綻(会社が倒産したような状態になること)します。同じ条件でも、会社の命運は全く違う結果になりました。
ここが大事:追い詰められたからこそ、大胆に変われた。
2004〜2010年代:捨てるのではなく「技術を別の場所で使う」道を選んだ
古森社長が選んだのは、「新しいことをゼロから始める」でも「他の会社に売り飛ばす」でもありませんでした。
「うちには70年間かけて積み上げてきた技術がある。それを別の市場で使えないか?」
こう考えて、社内の技術を全部書き出し(これを「棚卸し」といいます)、どこに使えるか探し始めたのです。
その結果わかったのは——「写真フィルムを作る技術は、医療・化粧品・電子部品にもそのまま使える」ということでした。
2006年には社名を「富士写真フイルム」から「富士フイルム」に変更。「もう写真だけの会社じゃない」という宣言でした。
ここが大事:「技術は消えない。使う場所を変えればいい」という発想が、会社を救った。
最大の転機
転機① 化粧品「アスタリフト」の誕生(2007年)
何が問題だったか
フィルム事業が縮む中、新しい収益の柱が必要でした。でも何もないところから新しいビジネスを作るのは時間がかかりすぎる。「うちの強みを活かせる場所はどこか」を探すことが急務でした。
どんな決断をしたか
技術を書き出してみると、化粧品に使えるものが4つ見つかりました。
①コラーゲンの研究 写真フィルムの土台素材の約半分は「コラーゲン」です。コラーゲンは肌のハリにも関わる成分。つまり70年間、意図せずして「肌に効く研究」を続けていたわけです。
② 超微細な粒子を均一に混ぜる技術(ナノテクノロジー) フィルムの薄い膜の中に、何百種類もの細かい粒子を均一に並べる技術があります。これは「化粧品の有効成分を肌の奥まで届ける」技術と同じ発想です。
③ 酸化を防ぐ技術 古い写真が色あせるのは「酸化」が原因です。これを防ぐ研究は、肌の老化(シミ・しわ)を防ぐ技術にそのまま応用できました。
④ 光をコントロールする技術 写真で培った「光の扱い方」の知識が、紫外線から肌を守る技術に活かせました。
こうして2007年、スキンケアブランド「アスタリフト」が誕生しました。「化粧品っぽい広告」ではなく、「この成分がこう効く」という理科の教科書みたいな売り方で差別化しました。
どんな結果になったか
アスタリフトは今も「科学的根拠に基づいた化粧品」として独自のポジションを維持しています。この成功が「技術を別の場所で使う」という戦略が本当に機能することを証明しました。
転機② 医療・薬の分野への本格参入(2008年〜)
何が問題だったか
化粧品の成功は嬉しいことでしたが、規模が小さすぎました。フィルム事業の穴を埋めるには、もっと大きな市場での成功が必要でした。
どんな決断をしたか
富士フイルムは「医療」に目をつけました。実は同社は1971年から光学(レンズ)技術を使った内視鏡を作っており、病院との付き合いは長くありました。その土台を活かし、病院向けの検査機器(CT・MRIなど)や薬の製造受託(製薬会社の代わりに薬を作るサービス)へと事業を広げていきました。
特に近年の成長を引っ張っているのが「薬の製造受託(CDMO)」です。CDMOとは、製薬会社から「この薬を作ってほしい」という依頼を受けて製造するサービスです。世界中で新薬の開発コストが高騰しているため、「自分たちで作らず外注する」製薬会社が増えており、需要が急拡大しています。
どんな結果になったか
富士フイルムの2025年3月期の業績は売上・利益ともに過去最高を更新しました。2030年には売上4兆円という目標を掲げて、今も成長を続けています。
現在のビジネスモデル(どうやって稼いでいるか)

富士フイルムの稼ぎ方は今、大きく4つに分かれています。
① 医療・健康(ヘルスケア) 病院向けの検査機器(内視鏡・CT・MRI)や、製薬会社向けの薬の製造受託、一般消費者向けの化粧品(アスタリフト)が含まれます。B2B(企業向け)とB2C(個人向け)の両方で稼いでいます。
② 電子部品の素材(エレクトロニクス) スマホやテレビの液晶画面に欠かせない特殊なフィルムや、半導体(チップ)を作る工程で使われる材料を売っています。この特殊フィルムは世界シェア約80%という圧倒的なポジションです。
③ オフィス機器・DXサービス(ビジネスイノベーション) コピー機・複合機などのオフィス機器と、企業がデジタル化を進めるためのソフトウェアやサービスを提供しています。毎月定期的に収益が入る「安定した稼ぎ頭」です。
④ カメラ・写真(イメージング) チェキ(instax)やデジタルカメラが含まれます。SNS時代に「手で触れる写真」という体験価値が若い世代に受け、アジア・欧米で人気が広がっています。
まとめると
富士フイルムの強さは「1つの技術を、複数の全然違う市場で使いまわせること」です。化粧品にも、医療にも、電子機器にも使える技術の蓄積があるため、1つの市場が落ちても他でカバーできます。
なぜ他社に真似されにくいのか
70年分の研究の積み重ね
コラーゲン・ナノ技術・光学技術は、どれも何十年もかけて積み上げたもの。「じゃあうちもやろう」と思っても、すぐには追いつけません。
技術を「別の場所で使う」という発想と実績
これを実際にやって成功させた会社は世界でも珍しい。失敗から学んだノウハウ自体が、大きな財産になっています。
複数の事業で稼ぐ仕組み
1つのことしかやっていないと、その市場が消えたとき一巻の終わりです。富士フイルムは自らコダックとの明暗を経験し、「1つに頼りすぎない」体制を作り上げました。
薬の製造拠点という大きな壁
デンマークやアメリカに巨大な薬の製造設備を持っています。こうした設備を作るには数千億円と何年もの時間がかかるため、新規参入がとても難しい領域です。
液晶フィルムの世界シェア約80%
スマホやテレビの画面が売れ続ける限り、安定した収入が入り続けます。
技術は消えない。市場が変わっても、使い道を見つければいい
富士フイルムが教えてくれるのは、この一点です。
写真フィルムが売れなくなるという、会社の存続を揺るがすほどの危機。同じ状況でコダックは変われず消えていきました。富士フイルムが生き残れた理由は、「捨てるのではなく、使い方を変えた」からです。
次に富士フイルムのニュースを見るとき、チェキの新製品、病院の検査機器、薬の製造ニュースが「写真フィルムの技術が、形を変えたもの」と思って見てみてください。見え方がきっと変わるはずです。
※この記事は会社のことを知るための情報提供です。特定の株の購入・売却をすすめるものではありません。投資の判断はご自身の責任でお願いいたします。

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